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名人「400年」の歴史

名人

 

最も歴史のある将棋のタイトルが名人です。
初代名人は大橋宗桂で、1612年に襲名。

 

江戸時代から400年以上続いているタイトルです。
ただし、当初の名人は終身制。

 

実力ではなく決まった家系からのみ選ばれていました。
名人が実力制となったのは昭和になってから。

 

初の実力制名人は木村義雄八段(当時)で1937年に名人となりました。

 

ひふみん、20歳で名人に挑戦

ひふみんの愛称で知られる加藤一二三九段(引退)が初めて名人に挑戦したのが20歳のとき。
これは名人戦の仕組みを考えると異例の早さです。

 

名人戦の挑戦者は、順位戦A級で優勝したものがなります。
順位戦A級で優勝で優勝するのも大変なのですが、A級に所属するまでも大変。

 

順位戦は上からA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組と5クラスにわかれています。
プロ棋士となって初めて所属するのはC級2組。

 

各クラスでは1年間かけてリーグ戦が行われ上位数名だけが上のクラスに上がれます。

 

つまりC級2組にいる棋士が名人に挑戦するにはC級1組、B級2組、B級1組、A級と4年連続でクラスを上げ、なおかつA級で優勝しなければならないのです。

 

ひふみんがプロ棋士になったのは14歳のとき(藤井四段に更新されるまでの最年少)。
ここから4年連続で順位戦を勝ち上がり18歳でA級に入りました。

 

この記録はいまだに破られていません。
A級となった最初の年での挑戦はならなかったものの20歳のときに名人に挑戦したのです。

 

ただし、結果は負け。
全盛期の大山康晴15世名人に1勝(4敗)しただけに終わりました。

 

歴史に残る死闘で悲願の名人に

加藤一二三九段が名人を獲得したのは42歳のとき。
3度目の挑戦ででした。

 

初めて挑戦したのが20歳のときで、3回目の挑戦が42歳のときですから、挑戦するだけでも大変なことがわかりますよね。

 

ひふみん3度目の挑戦は名人戦の歴史に残る死闘
名人戦は7番勝負(先に4勝したほうが勝ち)ですが、10戦も行っています。

 

千日手による差し直しが2局、持将棋(引き分け)が1局あったのです。
4勝3敗1時将棋2千日手差し直しで、悲願の名人となりました。

 

1年間、名人位を預からせていただきます

その加藤一二三名人に翌年、挑戦したのが21歳の谷川浩司八段。
A級入りして一年目で優勝し、名人に挑戦することなったのでした。

 

結果は4勝2敗で新名人の誕生。
21歳で史上最年少名人となりました。

 

名人獲得後に谷川が語ったのが「1年間、名人位を預からせていただきます」。

 

翌年、防衛に成功したときの「これで弱い名人から、並みの名人になれたと思います」とともに将棋史に残る有名なセリフです。

 

名人戦の仕組み

名人戦の予選は順位戦とし下記の仕組みで行われます。

  • A級からC級2組まで5つにクラス分けしリーグ戦を実施
  • フリークラスの棋士は順位戦に参加しない
  • A級(原則10人)の優勝者が名人に挑戦

リーグ戦は1年間かけて行われるので、上のクラスに上がれるチャンスも1年に1回。
「飛び級」はないので、C級2組がA級に上がるまでには最短でも4年かかります。

 

このため、藤井四段のようにどんなに勝ち続けても、すぐには挑戦できないのが名人戦なのです。それだけに重みがあるタイトルとなっており、ドラマも生まれる棋戦です。

 

名人戦が行われるのは毎年4月から。名人挑戦者が決まるA級順位戦リーグ最終局が行われる日は「将棋界の一番長い日」と呼ばれています。

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