駒の動かし方を知らなくても楽しめる将棋観戦のツボ

七冠阻止・七冠達成の王将戦

王将

 

8つある将棋のタイトルの中で名人戦の次に歴史があるのが王将戦です。
第1期王将戦が行われたのは昭和26年。

 

このとき陣屋事件と呼ばれる週刊誌でも取り上げられるスキャンダルな出来事がありました。

 

タイトル戦の対局を拒否

陣屋事件の陣屋とは舞台となった旅館の名前。
ここで王将戦の第6局が行われる予定でした。

 

王将戦を戦っていたのは木村義雄名人と升田幸三八段。
第5局まで終えた段階で、升田八段の4勝1敗。

 

すでに、升田八段が王将となっていました。

 

7番勝負の場合、先にどちらかが4勝した段階で以降の対局は行われませんが、当時のルールではどんな結果であれ7局戦うことになっていました。

 

ただし、3局勝ち越した場合は、次の対局はハンデ戦となります。
将棋のハンデ戦は駒落ちと呼ばれ、片方が駒を少なくして対局します。

 

3局負け越していたのは、ときの名人。
名人が相手に駒を少なくしてもらってハンデ戦で戦うという屈辱を味わうことになったのです。

 

このことを気にしたのが名人ではなく対戦相手の升田八段(駒を落とすほう)。
升田八段が対局場所(陣屋)にイチャモンをつけてこの対局を拒否しました。

 

名人の権威を傷つけたくないと思いからだったというのが定説ですが真相は不明。
この騒動は週刊誌でも取り上げられたほどの事件でした。

 

七冠阻止、七冠達成の舞台となった王将戦

羽生善治六冠が全タイトル同時独占をかけて最後に挑戦したのが王将戦です。
対戦相手は谷川王将(当時はタイトルが7つ)。

 

この世紀の対局が行われたのは平成7年。
第1局を谷川王将が勝利した後に阪神・淡路大震災が起こりました。

 

兵庫県神戸市出身の谷川王将は自宅、実家とも被災。
震災後の混乱の中、第2局を迎えることとなります。

 

結局、王将戦の7番勝負は3勝3敗のタイで最終局に。
羽生七冠誕生かと最終局には注目が集まりました。

 

3月に行われた最終局で勝利したのは谷川王将
羽生の七冠達成をあと一歩のところで阻止しました。

 

ところが、ここで終わらないのが羽生善治のスゴさ。
六冠すべてを防衛した上で、翌年ふたたび王将戦の挑戦者となります。

 

相手はもちろん谷川王将。
この七番勝負を4−0のストレートで勝利し、羽生七冠が誕生!

 

なにかと歴史の舞台となることが多い王将戦ならではの出来事と言えます。

 

王将戦の仕組み

  • 一次予選、二次予選はトーナメント
  • 二次予選を勝ち上がった棋士とシード棋士でリーグ戦を実施
  • リーグ戦の優勝者が挑戦者となる
  • タイトル戦は持ち時間各8時間の七番勝負
  • 1月から3月にかけてタイトル戦が行われる

PR

page top