将棋散歩 〜遊び駒でもイイじゃない〜

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  • 伝説の棋士「升田幸三」は名言の宝庫
    「新手一生」だけじゃない升田幸三の名言「新手一生」などを残した升田幸三実力制第四代名人の名言の中から個人的に気に入っているものを紹介したいと思います。勝負師とは「イチかバチかのやけっぱちみたいなことをやるのを、勝負師という人があるが、これは間違いです。そういうのは勝負師とはいわない、賭博師という」(升田幸三の名言)ココは勝負に出るか!なんて思いながらイチかバチかなことをしていた自分をふり返り反省。あれは勝負じゃなかったんですね。賭博だったんですね。確かに上手くいくこともあれば、そうでないこともありましたが、どっちに転ぶかは運任せみたいな感じでした。それでは賭博ですね。「勝負師とは、ゲタをはくまで勝負を投げない者をいう」(升田幸三の名言)「野球は9回2アウトから」というのはドラマを盛り上げるための都合のいいセリフと思っていましたが、これもちがうんですね。「決してあきらめない」ことの大切さに関しては古今東西でいろいろな言い方がありますが、「ゲタをはくまで勝負を投げない」が気に入っています。努力を積み重ねる「一人前になるには50年はかかるんだ。功を焦るな。悲観するな。もっと根を深く張るんだ。根を深く張れ」(升田幸三の名言)升田名人には、その先駆的な戦型や指し回しから天才型のイメージがあったのですが、この名言を知ると努力型なんだなということに気がつきます。努力を積み重ねる。「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしの如くなり」。織田信長が好んでいたとされる敦盛に出てくる文言ですが、升田幸三に言わせれば、一人前になるだけで五十年はかかるんです。すぐに成果を出したくなってしまう自分に言い聞かせています。たどり来て、未だ山麓「たどり来て、未だ山麓」(升田幸三の名言)藤井聡太五冠の「森林限界の手前」という表現が脚光を浴びましたが、その元ネタとも言えるのが升田幸三による「たどり来て、未だ山麓」です。これは升田が三冠制覇(三冠しかなかった時代なので三冠独占)した後で語った文言。実績を上げたスーパースターの持つ謙虚さは、その実績以上に人をひきつけますね。
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  • 将棋で全冠制覇は過去3人!藤井聡太4人目となるか?
    升田、大山、羽生が全冠制覇達成者将棋のタイトルを独占(全冠制覇)した棋士は、これまでに3名のみ。達成した順に、升田幸三実力制第四代名人、大山康晴十五世名人、羽生善治九段です。藤井聡太竜王・名人は現在のタイトルを保持したまま、王座を獲得すれば4人目の全冠制覇棋士となります。そこで、過去3名は何歳のときに達成したのかなど、まとめてみました。将棋のタイトル全冠制覇達成者一覧升田幸三大山康晴羽生善治生年月日1918年3月21日1923年3月13日1970年9月27日出身地広島県三良坂町岡山県倉敷市埼玉県所沢市師匠木見金治郎九段木見金治郎九段二上達也九段タイトル通算7期80期99期全冠制覇日1957年7月11日1959年6月12日1996年2月14日タイトル数三冠三冠七冠全冠制覇時年齢39歳36歳25歳大山康晴十五世名人は、王位戦が加わり四冠となったとき(1960年9月20日)と棋聖戦が加わり五冠となったとき(1963年2月2日)も全冠制覇を達成しています。三冠独占後、そのままタイトル防衛を続けて四冠独占。さらにタイトル防衛を続けて五冠独占と、この期間はずっと全冠制覇状態を続けていました。ちなみに、この大山の全冠制覇状態を崩したのは、羽生永世七冠の師匠でもある二上達也八段(当時)でした。全冠制覇を達成したのはどんな時代?3名の棋士が全冠制覇をしたときに、どんなことが起きていたのかを調べてみました。升田幸三の全冠制覇(1957年7月11日)この年(昭和32年)の12月に立教大学・長嶋茂雄選手の巨人入団が決まりました。一茂じゃないですよ、お父さん、ミスターのほうです。白黒の資料映像で見る時代ですよね。ちなみに、カラーテレビの本格放送が始まったのが1960年でした。たどり来て、未だ山麓将棋界初のタイトル独占を達成したあとのインタビューで心境を聞かれた升田幸三三冠は「たどり来て、未だ山麓」と答えています。この言葉、好きなんですよね。周りからは頂点に昇り詰めたと思われるところで、まだまだ山麓です(これから登らなければならない)って求道者って感じがしますよね。風貌からはイケイケに思える升田三冠が、こんな謙虚な言葉を残してるところも魅力。この言葉が、藤井聡太竜王・名人の「森林限界の手前」にもつづいています。「森林限界の手前」は王将位を獲得して史上最年少で五冠となったときの記者会見で出たワードです。「富士山に例えると何合目あたりか」という質問に、藤井新王将が「森林限界の手前」と答えました。第一人者となっても求道者。升田幸三実力制第四代名人と藤井聡太竜王・名人が重なりますね。升田幸三実力制第四代名人についてはコチラの記事でも紹介伝説の棋士「升田幸三」は名言の宝庫「新手一生」などを残した升田幸三実力制第四代名人の名言の中から個人的に気に入っているものを紹介したいと思います。「イチかバチかのやけっぱちみたいなことをやるのを、勝負師という人があるが、これは間違いです。そういうのは勝負師とはいわない、賭博師という」大山康晴の全冠制覇(1959年6月12日)大山康晴十五世名人が最初に全冠制覇したのは升田幸三実力制第四代名人の2年後。キューバ革命があった年です。教科書に出てくる時代ですよね。身近な話で言うと、フジテレビやテレビ朝日が放送を開始したのもこの年。前年にはプロ野球日本シリーズで稲尾和久投手がチーム3連敗後に4連投で4連勝し、「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれました。まぁ、これはリアルタイムで知っている人よりも、聞いたことがあるという人のほうが多い出来事ですね。助からないと思っても助かっているこの頃の大山康晴十五世名人の有名な言葉に「助からないと思っても助かっている」というものがあります。これは「もうダメだ、負けそうだ」という局面でも、よく見てみるとまだ手があるもので、「最後まであきらめるな」といった意味になります。羽生善治の全冠制覇(1996年2月14日)こちから今から27年前の出来事。リアルタイムで知っている人も多いのではないでしょうか。羽生九段が全冠制覇した2カ月後に、猿岩石(有吉弘行、森脇和成)がユーラシア大陸横断ヒッチハイクを始めています。あの年です。野茂英雄が大リーグでノーヒットノーランを初めて達成したのもこの年。なつかしいですね〜。羽生善治七冠時代について詳しくはコチラ藤井聡太七冠誕生記念(羽生七冠達成年を振り返ってみた)またまた歴史的瞬間が訪れました。藤井聡太竜王が史上最年少で七冠達成。同時に史上最年少の竜王・名人にもなりました。羽生七冠誕生時のフィーバーぶりを覚えているのですが、どんな時代だったかふり返ってみました。藤井聡太竜王・名人の全冠制覇なるか?藤井聡太竜王・名人が全冠制覇となれば、歴史に残る出来事です。あの年にはこんなこともあった、あんなこともあった。プライベートな思い出をつくっておくと、あとでふり返ったときに楽しそうですよね。ことしが歴史に残る年に成る可能性が高いです。記念になることをしておくのも良いかもしれません。
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