
将棋のタイトルを独占(全冠制覇)した棋士は、これまでに3名のみ。
達成した順に、升田幸三実力制第四代名人、大山康晴十五世名人、羽生善治九段です。
藤井聡太竜王・名人は現在のタイトルを保持したまま、王座を獲得すれば4人目の全冠制覇棋士となります。
そこで、過去3名は何歳のときに達成したのかなど、まとめてみました。
升田幸三 | 大山康晴 | 羽生善治 | |
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生年月日 | 1918年3月21日 | 1923年3月13日 | 1970年9月27日 |
出身地 | 広島県三良坂町 | 岡山県倉敷市 | 埼玉県所沢市 |
師匠 | 木見金治郎九段 | 木見金治郎九段 | 二上達也九段 |
タイトル通算 | 7期 | 80期 | 99期 |
全冠制覇日 | 1957年7月11日 | 1959年6月12日 | 1996年2月14日 |
タイトル数 | 三冠 | 三冠 | 七冠 |
全冠制覇時年齢 | 39歳 | 36歳 | 25歳 |
大山康晴十五世名人は、王位戦が加わり四冠となったとき(1960年9月20日)と棋聖戦が加わり五冠となったとき(1963年2月2日)も全冠制覇を達成しています。
三冠独占後、そのままタイトル防衛を続けて四冠独占。
さらにタイトル防衛を続けて五冠独占と、この期間はずっと全冠制覇状態を続けていました。
ちなみに、この大山の全冠制覇状態を崩したのは、羽生永世七冠の師匠でもある二上達也八段(当時)でした。
3名の棋士が全冠制覇をしたときに、どんなことが起きていたのかを調べてみました。
この年(昭和32年)の12月に立教大学・長嶋茂雄選手の巨人入団が決まりました。
一茂じゃないですよ、お父さん、ミスターのほうです。
白黒の資料映像で見る時代ですよね。
ちなみに、カラーテレビの本格放送が始まったのが1960年でした。
将棋界初のタイトル独占を達成したあとのインタビューで心境を聞かれた升田幸三三冠は「たどり来て、未だ山麓」と答えています。この言葉、好きなんですよね。周りからは頂点に昇り詰めたと思われるところで、まだまだ山麓です(これから登らなければならない)って求道者って感じがしますよね。
風貌からはイケイケに思える升田三冠が、こんな謙虚な言葉を残してるところも魅力。
この言葉が、藤井聡太竜王・名人の「森林限界の手前」にもつづいています。
「森林限界の手前」は王将位を獲得して史上最年少で五冠となったときの記者会見で出たワードです。
「富士山に例えると何合目あたりか」という質問に、藤井新王将が「森林限界の手前」と答えました。
第一人者となっても求道者。
升田幸三実力制第四代名人と藤井聡太竜王・名人が重なりますね。
大山康晴十五世名人が最初に全冠制覇したのは升田幸三実力制第四代名人の2年後。
キューバ革命があった年です。教科書に出てくる時代ですよね。
身近な話で言うと、フジテレビやテレビ朝日が放送を開始したのもこの年。前年にはプロ野球日本シリーズで稲尾和久投手がチーム3連敗後に4連投で4連勝し、「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれました。
まぁ、これはリアルタイムで知っている人よりも、聞いたことがあるという人のほうが多い出来事ですね。
この頃の大山康晴十五世名人の有名な言葉に「助からないと思っても助かっている」というものがあります。これは「もうダメだ、負けそうだ」という局面でも、よく見てみるとまだ手があるもので、「最後まであきらめるな」といった意味になります。
こちから今から27年前の出来事。リアルタイムで知っている人も多いのではないでしょうか。
羽生九段が全冠制覇した2カ月後に、猿岩石(有吉弘行、森脇和成)がユーラシア大陸横断ヒッチハイクを始めています。あの年です。野茂英雄が大リーグでノーヒットノーランを初めて達成したのもこの年。なつかしいですね〜。
藤井聡太竜王・名人が全冠制覇となれば、歴史に残る出来事です。
あの年にはこんなこともあった、あんなこともあった。
プライベートな思い出をつくっておくと、あとでふり返ったときに楽しそうですよね。
ことしが歴史に残る年に成る可能性が高いです。
記念になることをしておくのも良いかもしれません。