
またまた歴史的瞬間が訪れました。藤井聡太竜王が史上最年少で七冠達成。同時に史上最年少の竜王・名人にもなりました。残りは王座のみ。史上初の八冠制覇も迫ってきました。
史上最年少七冠といっても、そもそも七冠を達成した棋士はこれまで一人(羽生善治九段)しかいません。羽生七冠誕生時のフィーバーぶりを覚えているのですが、どんな時代だったかふり返ってみました。
羽生九段の七冠達成は25歳4か月。
前年の王将戦で七冠達成のチャンスがあったのですが、谷川王将に3勝4敗で敗れて史上初の七冠を逃していました。
このとき谷川王将は阪神・淡路大震災(1995年)で被災した中での七番勝負でした。
ただ、羽生六冠は七冠挑戦となった王将戦で敗れた後に、棋王戦→名人戦→棋聖戦→王位戦→王座戦→竜王戦と6つのタイトル防衛に成功。再び七冠のチャンスを得ました。
そして、迎えた王将戦。
4勝0敗で七冠達成。1996年2月14日の出来事でした。
羽生善治七冠が誕生した1996年の出来事をふり返ってみます。
羽生七冠が誕生した2か月後に、猿岩石がヒッチハイクを始めてたんですね。アトランタオリンピックもあり、女子マラソンで銅メダルを獲得した有森裕子選手が「自分で自分をほめたい」と言ったあの年です。
大リーグで活躍していたのが、大谷でも、ダルビッシュでも、イチローでもなく野茂英雄の時代です。野茂が大リーグに入団したのが1995年で、羽生七冠達成年は2年目のシーズンで1回目のノーヒットノーランを達成した年です。
なつかしい〜。
将棋界でも羽生善治七冠が誕生する少し前に、その後に大きな影響を与える出来事がありました。藤井システムの1号局(藤井猛六段vs井上慶太六段)が指されたのが1995年12月22日。羽生七冠誕生の3ヶ月前です。
羽生七冠の前に藤井システムが登場してたんですね。
(藤井システムは1996年度の升田幸三賞を受賞)
「藤井ちがい」ですが不思議なつながりがありますね。